政治家や官僚OBにマスコミOBまで手中に…“医学部新設”で凄まじき政治力とカネを巻き上げた『国際医療福祉大学』のドス黒い正体

政治家や官僚OBにマスコミOBまで手中に…“医学部新設”で凄まじき政治力とカネを巻き上げた『国際医療福祉大学』のドス黒い正体

私立大学の医学部としては最安値の学費が売りで、今年1~2月の一般入試の偏差値は『慶應義塾大学』や『東京慈恵会医科大学』と並ぶ最難関の『国際医療福祉大学』。100人の募集定員(※国際枠・センター利用枠を除く)に対し、出願者数は2769人で、倍率は27倍にも達した。しかし、この新設医学部は、高邁な理想・人気・難易度の陰で、異色の経営者・政官界・メディアとの持ちつ持たれつの関係が噂され、“医療政商”と揶揄する声も付き纏う。医療と福祉を掲げ、急速に膨張した学園の謎を解き明かす。

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京成電鉄で東京都心から1時間半、千葉県成田市の公津の杜駅に降り立つと、真新しい瀟洒な大小の建物群が現れる。日本初の医療福祉の総合大学を謳い文句に、先月新設された『国際医療福祉大学』(以下“国福大”)医学部のキャンパスだ。昨年、37年ぶりに新設された『東北医科薬科大学』に続く81番目(※大学校を含む)の医学部だ。国福大医学部が耳目を集めた理由は、6年間で1850万円という低廉な学費だ。私大医学部の学費の平均約3300万円の半額強で、私大医学部では最も低い。この学費の安さが、国福大医学部の謎と闇を探る糸口だ。医学部の運営は、教授陣や設備への投資で巨費を要する。国立大学でさえ、年間50億円以上の税金が運営費交付金として投入されている。一方、私大医学部への一般補助(※国立大学の運営費交付金に相当)は、平均して20億円。この為、国立大との差額30億円超を学費で埋め合わせるしか術はない。私大医学部の定員は100人余りで、1人当たり学費は3000万円程度になる。私大医学部は学費が安いほど難易度が上がり、高くなるほど偏差値は下がる。学費を下げて大量の受験生を集めることができるのは、経営状態が良い一部の私大だけ。診療報酬が下がり続けて、大半の私大医学部は経営難に直面し、安定財源の学費には手をつけられない。何故、新設医学部の国福大がこんな大胆な手を打てたのか? 「それは、高木邦格理事長の政治力に尽きる」と、他の私大医学部関係者は口を揃える。高木氏は昭和32(1957)年、福岡県大川市に生まれた。実家は明治43(1910)年に開院した眼科医院で、父の代に規模を拡大。高木氏は3代目に当たる。15歳で上京して、麻布高校に進んだ。大学受験に失敗し、父の病院で事務職に就く。22歳で再び上京して、東京医科大学に入学した。大学時代は福岡県選出の衆議院議員で、内科医だった自見庄三郎氏の私設秘書に。この後、自見氏を介して、“ミッチー”こと渡辺美智雄氏の知遇を得る。この邂逅こそが、高木氏の人生の針路を決定付けた。

東京医科大学を卒業して父の病院の経営に関与した後、1995年に渡辺氏のお膝元である栃木県大田原市に、コメディカル(※薬剤師・理学療法士作業療法士ら医師・看護師以外の医療従事者)の養成を目的とする国福大を設立した。渡辺氏の全面支援があったことは公知の事実。開学当初、息子の渡辺喜美氏が理事を務めた事実が、その絆の深さを物語る。当時、高木氏は37歳の若さだ。新設大学としては史上最年少の理事長の誕生である。渡辺氏の大田原市での威光は絶大で、高木氏はその政治力を存分に使う。国福大は大田原市から用地を無償提供され、栃木県からは36億円の補助金を受けた。後に“医療界の政商”の異名で呼ばれるビジネスモデルの原型である。その後、高木グループは破竹の勢いで急成長を遂げていく。1996年に名門の山王病院(東京都港区)を買収。2002年に『国立熱海病院』、2005年には『東京専売病院』を手中に収める。今や、大学や病院等を含めたグループ全体の売り上げは、約1000億円に膨らんでいる。基本技は、公金をフル活用する手法。例えば、2002年7月に国立熱海病院を転じ、国福大熱海病院を開設した際、買収価格は3億5000万円。「厚生労働省と交渉し、半数以上の病院職員を引き受ける代わりに、時価の1割で買収した」と医療業界誌記者は振り返る。一方、熱海市からは病院整備として30億円を受け取り、開院後3年間の赤字は熱海市と国に補填させる頭脳的な資金集めを成し遂げた。医療界では、「あまりに強引だ」と反発の声も強い。2006年に千葉県市川市の『国立精神・神経センター国府台病院』の移転跡地の払い下げが検討された時、厚労省が国福大への譲渡を公募前に決めていたことが同年の参議院行政改革特別委員会の追及で明らかとなり、払い下げが撤回された過去もある。それでも高木氏の野望は止まない。その悲願が医学部の新設だった。2009年8月には、北島政樹学長(※当時)が「医学部の開設を検討している」と言明した。だが、栃木県には『獨協医科大学』と『自治医科大学』があり、医学部の新設は認められない。高木氏にとって渡りに船だったのが、2010年2月に千葉県成田市が医学部誘致の検討を始めたことだった。同年12月の市長選では、現職の小泉一成氏が医学部誘致を公約に掲げ、再選を果たす。当時、成田市の関係者は海外の医学部誘致を真剣に考え、市議団はアメリカで大学医学部を視察して回った。成田の医学部新設問題に詳しい医師は、「高木さんから連絡があり、『成田市が医学部を誘致すると聞いたけど本当か?』と尋ねられた」と回顧する。高木氏が成田市に期待したのは、“成功の方程式”通り、その財政力だ。成田市は毎年、『成田国際空港株式会社』から固定資産税等で約160億円の税収があり、全国屈指の豊かな自治体。高木氏は小泉市長の懐に飛び込む。市長は地元出身の元旅館経営者。2010年12月の市長選の時点で、医学部誘致の為の人脈やノウハウなど持ち合わせていない。高木氏は、嘸かし強力な助っ人に映ったに違いない。そして2013年9月、成田市と国福大は共同で、国際戦略特区事業として“国際医療学園都市構想”を提案する。

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特区は通常、自治体が申請して、事業体は公募で選ばれる。自治体と事業体が連名で特区申請するのは異例だ。「成田市は、行政や政界との折衝を高木氏に丸投げした」と市関係者は明かす。帰結として医学部新設が決まると、市は「高木氏が求めるがままカネを出した」(同関係者)。皮切りは、昨年4月に開設した成田看護学部・成田保健医療学部への助成だった。成田市は20億円で土地を購入し、無償で貸与。更に、総建設費65億円の内、30億円を助成したのだ。先月開校した医学部は、成田市が23億円で敷地を確保し、国福大に50年間、無償で貸与することを決めた。更に、国福大サイドは「我々は成田市から招致された」と強調し、医学部新設に要する予算160億円の半分の80億円を求めた。最終的に成田市が45億円、千葉県が35億円を拠出した。高木氏(※左画像)は、病院建設でも成田市からカネを引き出す。成田市は15.2haの市有地に加え、3.6haの土地を新たに購入して、病院を建設できるように造成した。その費用は総額10億円だったが、勿論、無償貸与である。ここまでで成田市と千葉県が看護学部・医学部新設等の為に投じた税金は、其々128億円と35億円にも上る。宮城県内に新設された医学部で支払われた補助金が最大30億円だったことを考えれば、成田市の大盤振る舞いが際立つ。降って湧いたような公金は、これだけに留まらない。病院のハコモノを建設した後は内部の整備が不可欠で、その費用は約500億円。ここで高木氏が固執したのは、病院の所有を大学から分離することだった。当初、国福大は特区の特例として、株式会社が病院を建設し、それを借り受けようとした。その為、資本金150億円の目的会社を設立し、成田市に20億円の出資を求めた。このスキームにより、病院の賃料やコンビニ・調剤薬局のテナント料等で安定した医療外収入も期待できるからだ。

しかし、このスキームは日の目を見なかった。成田市営利企業に土地を無料で貸与できない為だ。代わりに、高木氏は『一般社団法人 成田国際医療都市機構』を立ち上げ、この団体に土地を無償で転貸する構想を提案した。機構が独自に資金を集めて病院を建設し、国福大はそれを借り受ける。機構は、賃料収入で建設時の借り入れを返済する。高木氏は成田市に2億円の拠出を求めており、市もこのスキームで調整している。成田市の支出は締めて130億円だ。この方法でも旨みは変わらない。成田市の土地を無償で借り受け、金儲けする点では、株式会社方式と本質的に同じだからだ。あの『三里塚闘争』を経験した成田市では、住民の意識が比較的高い。高木氏と市の対応を問題視した住民が監査請求を提出している。成田市の事情に精通する厚労官僚は、「成田市の公金を投ずる為に、一般社団法人を噛ませて、形式だけ適法性を維持する仕組みは、法の主旨から不適切だ」と断じる。何故、高木氏はこんな芸当ができるのか? その秘密は、高級官僚を大量に受け入れてきたからに他ならない。官僚OBの受け皿となれば、霞が関が管轄する医学部の認可や補助金等で陰に陽に追い風となるのは、日本の摂理だ。例えば、国福大の初代学長は旧厚生省で公衆衛生局長を務めた大谷藤郎氏で、副理事長は元文部省事務次官の宮地貫一氏。とりわけ、大谷氏の就任が周囲に与えた影響は大きい。「あの大谷さんが無名の私立大学に移り、省内は大騒ぎになった」と、当時のことを知る厚労官僚は語る。大谷氏は、ハンセン病患者の権利回復に貢献した硬骨漢として知られていたからだ。退官後、らい予防法違憲国家賠償訴訟で患者側の証人となり、1993年には公衆衛生学のノーベル賞と称されるレオンベルナール賞を受賞した。この後、2001年10月には谷修一氏が第2代学長に就く。谷氏は、旧厚生省で保健医療局長や健康政策局長を務めた医系技官だった。国福大は現在も大勢の天下りを抱えている。その筆頭は、1997~2000年まで旧文部省の事務次官を務めた佐藤禎一氏。文教族のドンだった森喜朗元首相との親密な関係で知られる。『日本学術振興会』の理事長ポストに天下った後、2009年に国福大の教授に就任した。厚労省からの天下りも多い。元老健局長で社会・援護局長の中村秀一氏や、元年金局長で社会保険庁長官の渡邉芳樹氏らが教授を務めている。更に、2015年12月には元医政局長の松谷有希雄氏が副学長に就任した。松谷氏は医政局長時代、「医師は不足しておらず、遍在が問題である」という従来からの厚労省の主張を繰り返した。その張本人が、医師不足とは言い難い首都圏の新設医学部の要職に就いたのはブラックジョークか?

こうした動きに目を光らせる立場のマスコミも、高木氏に取り込まれている。国福大には多数のマスコミOBが在籍し、禄を食んでいるのだ。『朝日新聞』元論説委員の大熊由紀子氏、『日本経済新聞』元論説委員渡辺俊介氏、『読売新聞』元医療情報部長の丸木一成氏、同社会保障部長の水巻中正氏、同政治部出身の金野充博氏…。今春には朝日新聞前社長の木村伊量氏も大学院特任教授に就任した。彼らは「国福大の広報係」(全国紙記者)とも言える存在だ。大熊氏は2004年に国福大の教授に就任後、98回も全国紙に登場している。他の記者OBも大同小異。『日本医学ジャーナリスト協会』という団体があり、その会長は水巻氏・大熊氏が幹事を務める。この団体は2012年5月、『今なぜ、医学部新設か? 医師不足の解消と医学教育を考える』というシンポジウムを企画し、読売新聞がこれを報じた。「お手盛り」(同)との批判が出るのは当然だろう。マスコミ関係で忘れてならない象徴的な人物がもう1人いる。神奈川県の黒岩祐治知事だ。2009年9月に『フジテレビ』を退職して、2011年4月に知事に就任するまで、国福大の教授を務めた。厚労官僚は、「黒岩氏が成田市に医学部を新設する上で、重大な役割を果たした」と話す。医学部新設は厚労省の所管で、最終的には首相官邸が判断する。官邸でこの件を仕切ったのは、菅義偉官房長官首相補佐官和泉洋人氏。菅長官は横浜市選出。和泉氏は国交省OBで菅氏の側近だ。2012年9月に退官後、内閣官房参与(国家戦略担当)を経て、2013年1月に首相補佐官(地方創生並びに健康・医療に関する成長戦略担当)に抜擢された。この2人と高木氏を繋いだのが黒岩知事とされる。特に、和泉氏と面識を得たのは大きかった。和泉氏は、「高木さんは表に出ず、矢﨑先生を前面に出して下さい」等と事細かに指示したという。矢﨑とは東京大学の元医学部長である矢﨑義雄氏のことで、『日本医学会』副会長を務めた大物だ。高木氏とは麻布高校の同窓という縁から、国福大総長を引き受けた。敵が多い高木氏とは対照的に、温厚な性格で慕われている。これ以降、矢﨑氏が医学部新設の前面に立った。政界・官界・マスコミを味方につけた高木氏の才覚の賜だろう。国福大の経常利益率は8.6%の黒字で、流動比率207%と手元資金は潤沢だ。その順風満帆な経営の一方、医師の間で国福大の評価は必ずしも芳しくない。都内の若い医師は、「国福大では働きたくない。年配の有名人は大勢いるが、若手で活躍している医師は聞いたことがない」と語る。国福大の膨張が目的化し、医療現場と教育は二の次にされないか。この新設医学部を支える資金の大きな源泉は、成田国際空港株式会社が支払う固定資産税だ。航空運賃に含まれ、成田市に航空会社経由で支払われるが、元は国民の負担である。「国際的で先駆的な学修環境を整え、グローバル時代にふさわしい医師を育てます」。異能の経営者が率いる国福大は果たして、その理想を体現することができるのか――。